花写真について思うこと

僕が撮影する典型的な花写真

今回、花をテーマにした写真展に参加して、自分が撮る写真について色々と考える切欠ができました。

写真を撮り始めて25年、別に誰に習うわけでもなく*1、コンテストに応募するわけでもなく、写真展に出展するわけでもなく、他人からの評価なんか全く気にせずに、自分が好きなように好きなものをパシャパシャと適当に写してきました。もちろん、自分の撮った写真を誰かに「上手いね」って言ってもらえば嬉しかったし、「へたくそやなぁ」って言われて落ち込んだりもしたけれども……。

Flickr のアカウントをとって、撮った写真をどんどんアップするようになっても、能動的に「僕の写真を見て!」って、いろんなグループにアップすることもなく、まあ、見たい人は見てくれたら良いし、気に入ってくれた人は何かに使ってもらっても構わないよ*2って姿勢のまま、今日まで来ました。実際、写真にコメントを入れてくれた人への返事も中途半端だったりするもんだから、投稿枚数の割りに、見てくれている人の数が意外と少なかったりするんですよね。自分の中では結構な自信作も、見てくれた人が一桁だったりするし……、簡単に言うと、社交性がないわけですよ、写真に関しては。(笑)

そんな自分が、今回初めて能動的に「僕の写真を見て!」って行動に出ました。しかも、一番苦手な花写真で。

花写真がなぜ苦手かというと、どの花をどこで撮っても何か同じ感じになっちゃうからなんですよ。特に意識をしていたわけではないのですが、過去に撮った花の写真をじっくりと眺めると、どうも無意識のうちに暗めの背景を選び、F値の明るいレンズを開放から2段くらいまでの絞りで使い、被写体の手前と背景を溶かすようにボケさせるのが好きみたい。ほぼこのパターンで撮ってるんですよね。これは、たぶんボケの綺麗なミノルタのレンズを使ってきたのが大きく影響しているんだと思うけど、ここまでワンパターンだと悲しくなりました。

で、「花咲く写真展 *はなさきました*」への参加を決めた今年の4月から、いろんな人の写真を真似っ子して、新しい撮り方を身につけようと、それなりに努力しました。写真歴25年だし、自分で言うのもなんだけど小器用なもんだから、たいていの写真はどんな撮り方をして、どうすれば再現できるかはわかるんだけど、真似っ子はやっぱりどこまでいっても真似っ子なんですね、自分の作品として昇華できないんです。撮影技術の追求という面では楽しいのですが、上手く撮ってやろうというスケベ根性が前面に出ちゃって、被写体の花を見てないというか、いまいち乗り切れてないんですよ。花写真を心から楽しんでないんですね。こんな写真を人様にお見せするなんて、被写体になってくれた花たちにも失礼だと思うので、真似っ子写真は永久に封印しました。

結局のところ、僕は僕のスタイルでしか、楽しんで写真が撮れないんですよね。嫌だなぁって思ってた写真でも、撮ってたときは技術云々は忘れて花との時間を楽しんでたわけで、それに気がついただけでも大収穫だと思います。これからは当たり前かもしれないけど、自分の撮影スタイルのまま、撮る楽しみを追求できたらなぁと思ってます。

今回の写真展には自分らしい和のテイストの写真を選び、掛軸を作ったり、和紙を使ったパネルを作ったりして展示しましたし、散策撮影会「はなあるき」でも、自分流を前面に押し出して、目いっぱい楽しみました。ワンパターン写真って言われようとも、これが僕のスタイルだし、他人の評価よりも撮ってて楽しいっていうのが一番大事だと思うから。

写真が好評だったかどうかはアンケートを読んでないのでわからないけど、ダメ出しはされなかったので、勝手に好評だったと信じておくことにします。(笑)

*1:唯一、玄光社の「フォトテクニック」だけは愛読書だった時期もありましたが……。

*2:ほとんどの写真をクリエイティブ・コモンズの「表示-継承」(Creative Commons "Attribution-Share Alike")で公開しています。