第4回 本願寺派スカウト指導者会海外研修(2日目)

今日はボーイスカウト運動がイギリスで始まって99年と364日目です。後1日で100年。こんな日に、ボーイスカウト運動発祥の地である、ブラウンシー島に行けるなんて、言葉では言い表せないくらいにワクワクしています。今日のメモもかなりの量なので、昨日同様、長文になることは間違いないですね。(笑)

起床

5時半にロビーに集合するため、4時半過ぎに起きました。眠い目をこすりながら顔を洗い、制服に着替え、カメラなどの荷物を用意して、5時には出発準備が完了しました。

ここで気が付いたのですが、昨日は両替や買い物で小銭を作る時間が無かったので、ベッドメイキングのチップが無いじゃないですか。ってことで、簡単なお礼とお詫びのメッセージをメモ用紙に書き、小さな折鶴を添えて*1ベッドサイドに置いておきました。

そんなこんなで5時20分になったので、部屋を出てG階のロビーに下りました。

ウォータールー駅

ホテルのレセプション(フロント)で朝食(お弁当)を受け取り、5時40分にバスに乗り込みました。ホテルの手違いか、なぜかお弁当が3つ余ったのですが、お腹が減ったら誰かが食べればいいということで、とにかくそのお弁当も持って5時45分に出発しました。

ウォータールー駅へは、昨日の逆のルートで "Victoria Street" に出て、ウェストミンスター大寺院やビッグ・ベンのあるパーラメント・スクエアを通り、"Westminster Bridge Road" を通って行きました。駅に着いたのは6時過ぎ、6時30分発の電車に乗るので、20分に集合する事になり、一旦解散しました。

ウォータールー駅は、フランスのパリとベルギーのブリュッセルに向かうユーロスターが発着するウォータールー・インターナショナル駅を併設*2するターミナル駅の一つで、主に南部方面への列車の発着駅です。ちなみにウォータールー(Waterloo)というのは、ウェリントン公が率いるイギリス・オランダ連合軍とブリュッヒャー元帥が率いるプロイセン軍が、フランス皇帝ナポレオン1世が率いるフランス軍を破った「ワーテルローの戦い」で有名なベルギーのブリュッセルの南にあるワーテルロー(Waterloo)のイギリス読みです。そんな駅をユーロスターの発着駅にするなんて、フランスに喧嘩を売ってるようなもんですね。(笑)

プール(Poole)へ

6時20分に集合して15番線から出るウェイマウス(Weymouth)行きの電車に乗りました。ウォータールー駅には改札も無く、おまけに場内アナウンスもありませんので、ホームでのんびり写真を撮ってたら、いきなり電車が音も無く発車してしまうかもしれません。ですから、とりあえず乗り込んで、乗った電車の写真はプール駅で撮ることにしました。

往路は2等車の自由席。予約票の入っていない座席なら、何処に座っても構わないのですが、ロンドン近郊区間は通勤列車のように人の出入りが激しいので、一ヶ所に固まって座ることになりました。全員が席に座り終わった6時30分、ウェイマウス行きの電車は定刻通りに音も無くロンドン・ウォータールー駅を発車しました。

イギリスの電車は、多くが第三軌条方式といって、架線とパンタグラフではなく、3本目の電源供給用レールとコレクターシュー(集電靴)の組み合わせで電気の供給を受けて走っています。ですから、線路脇に架線柱がなく、近郊区間の高架では景色が堪能できます。でも、郊外に出ると、線路脇に等間隔に街路樹(?)が植えられていて、緑の壁ができてしまっているので、それほど景色を楽しむ事はできませんでした。

ロンドンのウォータールー駅からプール駅までは約2時間半、到着予定時刻は8時58分です。この間に、ホテルで用意してもらったお弁当を食べる事になったわけですが、ここで一つ、大事件が起こりました。なんとなんと一人足りないのです。点呼の結果、居ないのは東京のMさんだと判ったのですが、そう言えばホテルのロビーに集まった時から居なかったねって東京の人達が言うんですよ。ひどい。(笑)

携帯電話で連絡がつき、状況が判りました。Mさんは、イギリスが今サマータイムだという事を知らずに、5時半に起きて6時半(Mさんの時計では5時半)にロビーに下りてきたそうです。その頃、我々を乗せた電車はウォータールー駅を発車していました。(笑) で、普通なら文句を言うとか、諦めるとかするのでしょうが、Mさんはスカウトですね。自分でタクシーに乗りウォータールー駅へ向かい、次の電車で我々を追いかけようとしていたそうです。幸い、1時間後に同じ電車があり、プールからブラウンシー島に渡るフェリーも30分後の便に乗れるようなので、とりあえずは一安心でした。でも、Mさんの朝食(弁当)はここにあるんだよね。なんでホテルを出るときに点呼しなかったんだろう……。

そんなこんなで、大事件を抱えながらも電車は定刻通りにプール駅に着き、先発隊(?)は全員無事にプールに着くことができました。

ブラウンシー島へ

プール駅の売店で昼食を買い込み、後から来るMさんの案内要員を1名残して、我々先発隊はフェリー乗場を目指して歩き始めました。

駅からプール港に続く "High Street" は、色々なお店が並んでいて、楽しそうなところでした。でも、まだお店が開く時間じゃなかったのと、船の時間が迫っていたのとで、さっさと通り抜けちゃったんですが……。そうそう、途中に踏切がありまして、日本の第三軌条方式の鉄道(主に地下鉄)には踏切が無いので、ちょっと珍しいなぁと思って写真を何枚か撮りましたよ。港もなかなか良い景色で、カメラを持ってウロウロしたら楽しいだろうなぁって感じでした。次回(いつ?)はプールか、近くのボーンマス(Bournemouth)あたりに1泊したいですね。

プール港からブラウンシー島までは "BROWNSEA ISLAND FERRY" という船で渡ります。船は二階建てになっていて、上の階がオープンデッキです。もちろん、上の階に乗りましたよ。所要時間は往路が約20分、復路は島の裏側を回るので倍の約40分です。船は10時に港を離れ、ゆっくりとブラウンシー島を目指して進み始めました。

プール湾内にはたくさんの船やヨットが停泊していました。中には、船底がびっしりと海草に覆われていて、かなりの長期間放置されてると思われる船もあり、航行の邪魔になるんじゃないかと心配になるほどです。そのためもあり、さらに季節によってはよく霧が出るので、どの船にも高性能な日本製のレーダーが付いていました。

ブラウンシー島はプール湾に浮かぶ8つの島のうち最大の島で、約2.4km×約1kmの平行四辺形っぽい楕円形をしています。現在はナショナル・トラストによって管理されていますが、100年前は個人の所有でした。1800年代後半には陶器(便器など)の工場もあり、200人以上の人が働いていたそうです。(1880年頃まで)

そうこうしている内にお城(Brownsea Castle)が見えてきて、いよいよスカウト運動の聖地、ブラウンシー島に上陸です!

ブラウンシー島のこと

ボーイスカウト運動にとって、このブラウンシー島は特別なものです。ボーイスカウト運動の創始者であるベーデン-パウエルは "Aids to Scouting"(斥候の手引き) という軍人向けの本をインドに赴任していた1899年に書いたのですが、1903年にアフリカから帰国してみると、その本が意外にも子供たちの間で反響を呼びベストセラーになっていたことを知りました。ところがその本は、元々軍人向けに書いた本なので、正直な話、少年たち向けの内容ではありませんから、少年たちのために新たに野外活動の楽しみ方に特化した本を書こうと思い*3、今からちょうど100年前の1907年8月1日〜8日の日程で、20人の少年を集め、ここブラウンシー島で実験キャンプを行ったのです。このキャンプを元に翌1908年に "Scouting for Boys"(少年のための斥候術) という本を出版し、それを読んだ少年たちが、英国各地で自然発生的に班活動を行うようになりスカウト運動が始まりました。つまり、ブラウンシー島は、我々スカウトたちにとっては本当の意味での聖地なんです。

ブラウンシー島にて

その聖地に、100周年の前日に上陸できたんですから、もう何も思い残す事はないというくらいの、かなりのハイテンションで上陸したわけですが、後発隊(?)のMさんを待つために港で足止めされ、オアズケをくらった犬のように悶々としながら、売店でお土産を漁っておりました。そして待つこと約30分、後発隊(?)のMさんも合流し、いよいよブラウンシー島のツアーが始まりました。

最初に出会ったのはB-P像。日本で見慣れているB-Pの肖像画とは全く違うイメージで、帽子を取った姿でした。台座のイラストは、ブラウンシー島に芽を出した小さなスカウトの木が、100年後には世界に根ざす大木になったという意味で、B-Pが描いたイラストを元にデザインされたそうです。この銅像は、今年、100周年にあわせて新調されたもので、以前は石像*4だったそうです。以前の石像がどうなったのかは聞き漏らしてしまいました。情報をお持ちの方は御一報下さい。

B-P像を後にし、松の大木の林の中を抜けて行くと、クジャクに出会いました。昔、この島のオーナーにペットとして飼われていたものが野生化して繁殖しているそうです。求愛行動の時期ではないので、羽を広げた姿は見られませんでしたが、飛ぶ姿は見られました。でも、飛んでる姿の写真が撮れなくて残念。

クジャクが居たのはセントメリーズ教会(St. Mary's Church)の傍で、近くには1963年にB-P卿の妻であるオレブ・ベーデン-パウエルが植えたクワの木が大きく育っていました。このクワの木、ブラウンシー島で唯一のクワの木で、オレブさんがなぜこの木を選んで植樹したのかは謎なんだそうです。

そこから少し歩くと、世界各国の国旗が並んでいました。この国旗、世界スカウト機構に加盟している155カ国と26地域の旗を加盟順に並べたものらしく、日本は二つ目のグループのトップだったので、どうやら16番目の加盟国のようです。(違うかも……)

国旗の列はまだまだ続きますが、旗が並んでいる "Deer Park Road" から離れて、"Portland Avenue" を通り、ガイドさん曰く「ブラウンシー島で一番景色の良い所」に連れて行ってもらいました。

Poole HarbourPoole HarbourPoole Harbour

絶景ポイントから "Portland Avenue" にもどり暫く行くと、"Daffodil Fields" で素麺流しのようなことをやってるじゃないですか。(笑) まだ準備中みたいだったのと、時間が無くて直接話を訊けなかったので、実際は何をやっていたのかは未だに謎ではありますが……。

そこから少し歩いた "Horse Fields" にアマチュア無線局がありました。日本とイギリスではアマチュア無線資格の相互運用協定が結ばれていないので、イギリス国内では、日本の免許を持っていても交信できません。ですから、QSLカードの交換は無理だと思って用意して行かなかったのですが、うちのS団委員長が EYE BALL QSO でカードを交換して来たのにはびっくり。さすが、スカウトのモットー「そなえよつねに」を実践してますね。(この後、「いいなぁー」「いいなぁー」を連発したら、ボーイスカウト宝塚アマチュア無線クラブ(現在活動休止中)のQSLカードをくれたので、僕も帰りに EYE BALL QSO でカードを交換して来ました。(笑) )

"Horse Fields" を離れ暫く歩くと、左手に "Scout Commemorative Stone" が見えてきました。この記念碑は今から40年前の1967年に建てられた物で、この石の前で写真を撮るのが昔からの夢だったんです。とは言うものの、他人の写真ばかり撮って、なかなか自分の写真を撮ってってお願いできないカメラマンの悲しさよ。結局、一人では撮ることができず、うちの団のメンバー4人で撮るのがやっとでした。(泣) 記念碑に刻まれている碑文を書いておきますね。内容は簡単なので、皆さんで訳してみて下さい。

This Stone Commemorates the experimental Camp of 20 boys held on this site from 1st - 9th August 1907 by Robert Baden-Powell, later Lord Baden-Powell of Gilwell.

Founder of the Scout and Guide Movements.

憧れの "Scout Commemorative Stone" を後に、坂を下っていよいよ "B-P's 1907 Camp Site" に向かいました。キャンプサイトは、明日のサンライズセレモニーの準備の真っ最中だったので、イマイチ趣に欠けましたが、その奥では、100年前のキャンプを再現した "The Replica Camp" が行われており、実際に当時の装備や服装とプログラムで20人の子供たちがキャンプをしていました。もちろん、兵庫連盟の今年のインダバよりも本格的でしたよ。(笑)

ガイドツアーはここまでで、キャンプサイト内の木陰でプール駅で買った昼食を食べ、そこからは帰りのフェリーの時間まで自由行動です。僕は "Baden-Powell Outdoor Centre" の売店でお土産を買い、"Horse Fields" の売店でもお土産を買い、"Deer Park Road" をぶらぶらと歩きながら写真を撮り、"St. Mary's Church" まで戻ってきました。

"St. Mary's Church" は、19世紀中頃、William Waugh という人が島のオーナーだった時代にゴシック様式で建てられた教会で、教会内には、彼の前のオーナーだった Bonham-Christie という人のお墓があります。建設当時はボーイスカウトには無関係な教会でしたが、現在は祭壇の左右にボーイスカウトガールスカウト(ガールガイド)の旗が飾られ、壁には第1回から今回(第21回)までの世界ジャンボリーのワッペンを入れた額が飾られ、お祈りの時に膝の下に敷くクッション(名前がわからない)が歴代の世界ジャンボリーのマークでした。(これは期間限定企画かも……)

集合時刻が近づいてきたので、"St. Mary's Church" を後に、再びB-P像の前を通って港に向かいました。港に着いて、まだ時間があったので、ちょっと一休みしてジンジャービール(アルコール度数0.5%)を飲み、うちの団の他のメンバーと話をして時間を潰しました。そこで知ったのですが、S団委員長を初めとする3人は一緒に行動していて、"Visitor Centre" でやっていた子供たち向けのアクティビティである「缶バッジ作り」を楽しんできたそうですよ、いい歳をした大人なのに。(←本当は参加できなくて悔しいんです)

さようなら、ブラウンシー島

Poole Quay (プール桟橋)に戻る船が着き、ブラウンシー島を離れる時間になりました。順番待ちの列に並んでいるとき、すぐ後ろに、イギリスのカブ隊とボーイ隊の一団が居たので、写真を撮らせてもらいました。僕が写真を撮ってたら、他のメンバーもカメラを出して、気がつくと撮影会に。(笑) 僕はその隙に Pivi で今撮ったばかりの写真をプリントし、プレゼントすることに。でも、ファイルサイズが大きくて、転送に時間がかかり、なかなかプリントが出てきません。バタバタしてる内に列が進み始め、漸く出てきた1枚を、僕が乗船準備でカメラを片付けてる間にHさんにお願いして渡してもらいました。(残りの焼き増し分(4枚)は船上でプリントし、プール桟橋に着いてから渡しました。)

復路の船は、往路とは違い、島の裏側を回ります。ですから、右側の席に座るともう一度 "B-P's 1907 Camp Site" が見られます。僕はもちろん右側に座りました。桟橋を離れて暫く行くと、ガイドさんが連れて行ってくれた絶景ポイントが見えました。そこから暫く行くと、先ほどは見られなかった "The Sunrise Camp" のキャンプサイトが見えてきました。"The Sunrise Camp" というのは、7月29日〜8月1日の3泊4日で行われているキャンプで、第21回世界スカウトジャンボリーに参加している各国の代表スカウト(各国2名)が8月1日の "Sunrise Ceremony" への参加と準備のために行っているキャンプです。ちなみに例の「素麺流し(違)」も彼らのプログラムです。(笑)

そうこうするうちに、"B-P's 1907 Camp Site" が見え始めました。先ほどまで制作中だった橋も完成していて、明日の "Sunrise Ceremony" のリハーサルが始まっているようです。明日はいよいよ100周年。ここからの中継を、もう一つの聖地であるギルウェル・パークから見られるんですね。楽しみ楽しみ。

"B-P's 1907 Camp Site" の沖合いをフェリーはゆっくりと進み、プール桟橋へ向かいます。またいつの日か、再びこの島に戻ってこようと心に決め、聖地ブラウンシー島を後にしました。

ロンドンへ

帰りの電車まで少し時間があったので、"High Street" の踏み切りを渡ったところに集合すると言う事で解散。僕はブラウンシー島の桟橋で写真を撮った子供たちがフェリーから降りてくるのを待って、焼き増しした写真を渡し、あとはぶらぶらと写真を撮りながら集合場所に向かいました。

復路の電車は2等車の指定席。かなり混んでたので、指定席にして正解でした。ちなみに、指定席といっても、日本のように自由席車両と指定席車両が分かれているわけではなく、座席に予約票が刺さっているか否かだけなので、乗車予定の電車が始発駅を出発する何時間か前までしか指定席は購入できないそうです。

そうそう、僕が乗ったのは先頭車両だったのですが、プール駅は上り方向(ロンドン側)のホームの端が少しカーブしていて、電車とホームとの間が阪神御影駅*5並みにやけに広く空いてるんですよ。ホームが混んでたので落ちそうでちょっと怖かったです。

電車はほぼ定刻通りにプール駅を出ました。車内ではブラウンシー島の話題で盛り上がり、約2時間、あっという間に、ロンドン・ウォータールー駅に着いた感じです。

中華料理

ウォータールー駅からバスに乗り、Soho の中華街にある中華料理店 "Chuen Cheng Ku (泉章居)" へ。途中の経路は寝てしまったので判りません。起きたら "TDK" と "SANYO" の大きな看板が目に飛び込んできてびっくりしました。(笑)

結構メジャーなお店で無難な選択*6ではあるけれども、ビール(1pint)が£4.50(約1,125円)だったのには参りました。紹興酒なんか、グラス1杯で£5.00以上するんですよ。料理はさほど高くなく、そこそこ美味しいだけに、お酒の値段の高さだけがちょっと残念でした。

ホテル到着

20時半頃にお店を出て、ホテルに着いたのは21時前。その時刻でもまだ空は明るいので、なんだか不思議な気分です。

今日は朝早くから色々あったので、ちょっと疲れ気味。明日も朝が早いので、シャワーを浴びてさっさと寝ることにしました。

長かった2日目の日記も漸く終わりです。最後まで読んでくださった皆さん、お疲れ様でした。(u_u)

明日はいよいよ100周年記念の "Sunrise Ceremony" に参加するために、もう一つの聖地、ギルウェル・パーク(Gilwell Park)に向かいます。明日の日記も長そうですよ。(笑)

それでは、最後のカウントダウンを。スカウト運動100周年記念日まであと1日です!

*1:まあ、若干迷惑かもしれないけど、メッセージだけでは味気ないので……。

*2:今年(2007年)11月14日にCTRL(Channel Tunnel Rail Link)線が開通しユーロスターの発着駅がセント・パンクラス駅に変更されるのでウォータールー・インターナショナル駅は廃止される予定。

*3:実際、1906年には "Scouting for Boys" の原案を陸軍、海軍、教会("YMCA" や "Church Lads' Brigade")、少年団("Boys' Brigade (BB)")などに送り、BBの機関紙 "Boys' Brigade Gazette" にもダイジェスト版(BBの教育方針に従って編集者が大幅にカットしたもの)が掲載されていますし、「シートン動物記」の著者であり、少年団ウッドクラフト・インディアンズ("Woodcraft Indians")の創始者であるアーネスト・トンプソン・シートン("Ernest Thompson Seton")とも積極的に意見交換しています。

*4:以前の石像の写真はネットで見つけることができました。

*5:阪神の普通電車(梅田行き)の一番後ろの車両に乗った人なら判ると思いますが、ローカルすぎて判りませんね。(笑)

*6:今年(2007年)3月に食品衛生法違反で摘発されたので、現在はおそらく以前より衛生状態は良いはずです。